年頭にあたり、秋田のことも考えた・・・

明けましておめでとうございます。
秋田市は、この時期としては穏やかな年末年始でした。


9連休という、入社以来最長の年末年始休暇だったが、人の出入や移動が多く、のんびりしたという感覚はない。それでもささやかに、男鹿市の「なまはげ館」と、にかほ市の「TDK歴史みらい館」に行った。双方で違った意味で秋田を考えた。自分が暮らしている場所でも、知ってるつもりだったり知ろうとしなかったりで、知らないことがたくさんあると反省。

受け継がれてきた個性的な文化を知る~男鹿なまはげ館

県外の人は、秋田といえば真っ先に「男鹿のなまはげ」が頭に浮かぶらしい。そんな秋田県のシンボルといえるなまはげや、世界のなまはげ的なものが展示されているのが、男鹿市北浦にある「なまはげ館」。2018年、なまはげ行事が来訪神行事としてユネスコ無形文化遺産にも登録されたのは記憶に新しい。
年末年始のニュースには恒例のように、家々を回り「なぐごはいねが」と子どもを脅し(?)、酒肴を振舞われるなまはげの姿がある。男鹿のなまはげは、部落ごとに受け継いできたそれぞれのお面(おめん)があり、なまはげ館に展示されている。部落によってその表情が全く違うのは、部落の生業(なりわい)によってその面にこめる願いが違うからだと案内の方に教わった。素朴ながら心魅かれる。展示品の中には今も現役で使われているものもあり、年末には部落に里帰りするそう。子どもにとっては恐怖体験だが、それだけではない。大人が子どもをきっちり守り、なまはげをとりなしてくれる、そういう風習でもある。なまはげは怖いけれど、家族は自分を守ってくれる心強い存在だという体験をしてゆくのだと思う。
過疎化でなまはげ行事が途絶えた部落もあるそう。そのうち観光資源という形でしか残せなくなるのかもしれない。なんとか残してほしいと外から言うほど、伝統行事や文化を守るのは楽ではないと思う。

最先端技術と偉大な先人の歩みに触れる~TDK歴史未来館

グローバルな企業の少ない秋田県の中で、特異な存在のTDK。初代社長が旧仁賀保町(現にかほ市)の出身で、故郷のために地元に工場を作ったくらいの知識しか無かった。当社が、昨年にかほ市平沢で分譲地を造成したで縁で、少しTDKについても学んだ。ちなみにこの分譲地も元はTDKの体育館跡地だ。TDKといえば、バブル崩壊で大規模なリストラをしたイメージが強かったが、その後さらに技術を磨き今では広範な分野でTDKの製品が使われているそう。
すごいと思うのは、世襲制でないTDKが、交通の便の悪いにかほ市でずっと工場を維持していること。創業者の齋藤憲三以降は、秋田県出身の社長はひとりもいないのにだ。町を挙げてTDKを応援しているとか、純朴でまじめな人が多いとか理由はいくつもあるだろうが、バブル後海外に工場を移転した大企業が多かったのに、ありがたいことだと思う。(なんて貧困なボキャブラリーだと我ながら残念だが)
秋田県には就職先がないから戻って来られないなどど他力本願なことを言わずに、人々の暮らしが豊かになるため起業して、雇用を創出するために地元に工場を作る。齋藤憲三は七転び八起きどころではなく、2勝98敗の男と呼ばれるほど失敗の山も築いたという面も持つが、何とも豪快である。秋田でも自ら事業を始める人がどんどん現れて、地元を豊かにしてほしいものた。(これも明らかに他力本願だが)

ということで、正月から秋田を考える機会に恵まれました。
今年も、よろしくお願いいたします。

2020.1.9