上野で考えた日本文化

美しい街並みだけが魅力的なのか

今となっては死語かもしれないが、「おのぼりさん」をした。横浜、鎌倉、江の島あたりの観光をして、最終日は上野界わいというのんびりした行程。
上野で驚いたのが、外人さんの多いこと。それも、英語で話している人をたくさん見かけた。みんな首からカメラをぶら下げて、なんか普通に歩いている。なぜ、ここなのだろう。

不動産の仕事をしていると、美しい景観が財産というのが常識。でも、日本の魅力は、統一された街並みとは真逆なところにあるのではと、ふと思った。
明治時代、西洋文化の洗礼を受けた卑屈になるのが得意な日本人は、西洋の美しい建物や街並みにあこがれ、西洋建築を取り入れ、ごちゃごちゃした町を卑下したと思われる。「きれい」はわかりやすい。でも、日本的な雑多さは本当に「みにくい」ものなのか。
古くは、八百万(やおよろず)の神々を信仰していた日本人が、飛鳥時代渡来した仏教を取り入れ「神仏融合」をしてしまい、正月には初詣に神社に出かけ、お盆にはお寺に墓参り。今は、結婚式は教会で、クリスマスは盛大にお祝いし、ヴァレンタインにチョコを贈り、ハロウィンには大人も仮装して街に繰り出す。ネガティブにとらえれば節操がないが、好奇心が旺盛で、面白いものはなんでもありという懐の深さといえる。活気があってエネルギーが溢れている。

日本の良さは、雑多な猥雑さにある

計画的で美しい街並みは一朝一夕でできるものではないし、そこで勝負してヨーロッパなどに勝てる街は日本には少ない。外国人が見たこともない、一歩間違えば嫌らしく下品な「猥雑(わいざつ)さ」で勝負するのが、日本の正しい方向なのではないかと思った。新宿歌舞伎町の路地裏の店に外国人が殺到しているとも聞く。雑然とした光景を別な視点から眺めたら、ガラクタの中に面白い発見がたくさんある。
以前は一段下に見られていたポップカルチャーやサブカルチャーも、日本の外貨獲得政策として政治の場でも堂々と語られるようになってきた。今は高尚な日本文化の象徴となった歌舞伎も、もとは大衆演劇。様式美が評価されるが、ド派手なメイクと衣装は、日本の雑多文化の象徴ともいえる。雑多を誇り、雑多さを最大限に魅せることこそ、日本が日本として生き残る道かもしれない。下町情緒もそんな雑多さの良さに光を当てたもの。景観計画も、きれいに整え過ぎない寛容さも必要かもしれない。「猥雑景観保護地区」を作るとか。

わけのわからない(と年寄りは感じてしまう)ものを、どんどん発信する日本の若者は、日本の文化の象徴。大人の考えるジャンルに縛られない「はじけっぷり」が、なんでもありの日本の活力となる、そこまで考えてしまった上野のぶらぶら歩きでした。